小学校算数の意義
塾講師という仕事をしているために、よく言われることがある。
「算数なんてやって何の意味があるの?」
確かに、小学校の時の自分はそう思っていたし、実際小学生はただただ受験のために
算数をやっている。
そんな感じなのだと思う。
じゃあここで考えてみたい。なぜ、算数が必要なのか。
色々な答えはあると思うし、何かが正解ということはないと思う。
ここでは、自分の考えを述べてみたいと思う。
フィードバック、批判諸々受付中であります。
同じ質問をするとよく帰ってくる答えがある。
「レジでの計算が楽になる」
という答えである。
間違っていないと思う。計算力が高いから、今の状態でもうまくお金が回っている。
そう考えることは確かにできる。
ただ僕が思うに、小学校の算数において計算はそんなに重要ではない。
確かに、受験ということを考えれば、計算の力は絶対に必要であるし、それは処理能力の速さにもつながる。
だが、実際に計算なんて、アメリカでは小学校の時から電卓を使っているし、それでも社会はしっかりと回っている。
だから、計算の力は算数の意義の中で最上位のものではない。
僕はそう考えている。
じゃあ、何が最上位なのか。
僕は「簡潔化する力」だと思っている。
つるかめ算でもそう。
食塩水問題でもそう。
ベン図でもそう。
速さでも何でも使える比という抽象的な概念はその最たる例だと思う。
算数はありとあらゆる複雑な条件のもと、文章をいかに図示(もしくは明確化)し、視覚化して、
解きやすくすることによって早く解くかが求められている。
そして、小学生で習うその考え方はビジネスにおけるフレームワークを理解するうえで、もしくは作り出すうえでとても重要になってくる。
実際、多くの社会人のお話を聞いていると各々使われているフレームワークはベン図を使っていたり、場合の数的な樹形図(ロジックツリーなど)を使っていたりする。
だからこそ、小学生の間の勉強をただの受験勉強もしくはただの学校の勉強で終わらせてほしくない。
算数を勉強することは、微力ではあるかもしれないが将来の可能性を広げることにつながると思う。
ただ勉強しろというのではない。これに関しては答えを導くまでの過程を大切にしてほしい。
算数は「問題を解くプロセスにこそ価値がある」
そして、それを伝え、子供の将来を明るくするために努力をし、巡り巡って国を元気にすることができるのは
ゆとりと言われながら教育を受けてきた僕らの世代だと結構本気で思っている。
だから、だからこそ今頑張れているんだろうなと。
自分に子供ができた時その子供に対して自分が恥じない存在になっているために。
今の僕より優秀な子たちが大人になったときに、こいつに習っててよかった。そう思ってくれるように。
オフィスを作る。その壁は越えた。
次の壁はもう見えてる。一つ一つぶっ壊すよ。